ウディ・アレンの作品『アニーホール』と『世界中がアイラブユー』を立て続けに見たです。
というのも、窪田監督の作品のイメージがちょっとウディ・アレンぽくなるのではないかなーと思ったからなんだけど。
なんだかものすごく騒々しい感じと、台詞が速くて多いところは、ウディの特徴なのかな?
あと、過去と現在が同居する感じというか、いるはずのない人がいたり、
見えないはずの物が見えたり、マジックが所々でみられるのもウディ節なのかなと。
いきなり登場人物が歌い始めたり、踊り始めたり、カメラ目線で台詞を言ったり、
日本のドラマっぽい感じもしたなあ。
ウディ自身も役者として出演していて、よくもまあ起用に役者と監督をやってのけるなあと感心しちゃった。
だってだって、監督も役者も両方出来るのはほんと強みだと思うから。
釜山の映画祭で、私がずっと話していたクリス・タシマは、
映画祭のオープニングフィルム“Day of Independence"の監督でもあり、役者でもあるんだけど、
「監督が役者のことや芝居のことをわかってないとだめだ。」ということを彼も言ってたし、
ドレスデン映画祭で、丹下監督と話した時も、
「役者は作る側の事を、監督は芝居の事をもっと勉強するべきだ。」と、彼も同じような事を言ってて。
でもよくよく考えたら当たり前の事だよね。
監督が芝居のことわかってなかったら、芝居なんてつけれないわけだし、
なによりも役者の気持ちがわかってあげられないと、役者としても辛いもんはある。
感情のもっていき方や、どういうふうにすれば一番芝居がやりやすいかということを
監督がわかってないと、それはとてもやりにくい現場になっちゃうこともあるし。
それは逆もしかりで、役者はその監督が何を求めているのか、
作品全体をどういうふうにしたいのか、その作品の完成系はどんななのかということを、
監督と共有しないといけないし、わかろうとしないといけなくて。
だから監督と役者、どちらもできる人は尊敬するし、とても信頼できる。
クリス・タシマにさ、「君も、自分だけの特別な体験を自分で本にして、それを自分でディレクションするってのはどうなの?」って言われて。
毎日こうやって日記を書いてるわけだから、自分の思っている事、感じている事を文章にするのは
そんなに難しい事ではないんだけど、
それに起承転結みたいなのをつけて、カット割りして、カメラの撮り方まで考えて…ってのはちょっと無理だなーと思うね。
しかも、その自分の物語を人に見せられるものにする自信もないし、
つーか私の物語なんて誰か見たいの?って思うし(笑)
でももしかしたら何年か後に、自分でディレクションしたくなる時が来るかもしれないと思うのね。
いろんなことを経験していく中で、
何か「みんなにわかってほしい、共感してほしいこと」ができて、それを映画にしたくなるかもしれないって。
実はね、一つだけ私が自分で考えている物語があるんだけど、
それはあまりにもリアルなので、今は言えません(笑)
いつかちゃんと本にするかもしれないし、しないかもしれない。
監督する人、特に才能のある監督というのは、日々の出来事から何かを感じとったり分析する力がすごくあるんだと思う。
観察力もあるんだろうし、よくいろんなものを見ているというか。
でも役者もきっと同じよね。
つーか、そういう人って監督や役者に限らず、表現者においては同じ気がする。
たまたま職業が監督だったり、役者だったり、作家だったりするだけで。
ふむ、まあ私は今は役者しかないかな。